力士だった自分が糖尿病になり、左足を切断するまで。【体験談】
相撲取りの私が糖尿病になったのは22歳の頃です。
その頃の私の職業は力士でした。
身長は185センチで体重は160キロあった時です。
力士としてはいい体格だったと自分でも思っています。
相撲界は一日、二食が主流で最初の食事が11時頃、夕方は18時頃になります
朝は4時起きでそれから稽古が10時頃まであります。稽古後お風呂に入り11時頃の朝飯となります。朝早くから起きて身体を動かすのでお腹が大変減っていて丼飯で3杯以上を食べる毎日です。
お腹が一杯になると必然的に昼寝をするようになり起きたら直ぐに晩飯を食べる様な習慣がついてしまいひと月で35キロ位太ってしまった時がありました。
そんな生活を15歳の頃からしていて22歳の頃には糖尿病になってしまいました。
相撲界に在籍している間は、糖尿病と診断されても太らなければ成らないので薬を飲みながら食事をたくさん食べていました。
相撲界に在籍している約9年間このような生活でした。
相撲界を引退したからと言って直ぐに食事を減らす事は出来ません。
現役時代と同じ量を食べる習慣がついていました。
そして27歳の時に結婚をして身体を動かす運送会社に勤めました。
運送会社の仕事はかなりハードで結構くたくたになる日々を過ごしていました。
その時の体重は120キロ前後をキープしていた様な気がします。
そして離婚をし、33歳の頃から一人暮らしをするようになり運送会社も辞めてしまいました。
室内での仕事に転職し身体を全く動かさないようになってしまったのに食べる事は現役の頃と変わらないぐらい食べていました。
そんな生活を続けていて37歳の頃に足の裏の靴ずれが化膿してしまい両足に病巣が出来てしまいました。
片足を切断しなければいけない程ひどくなっていました。
左足の方が症状が重く、足の裏に出来た靴ずれが足の甲までばい菌がまわってしまい足の甲から骨が見えてしまうほど皮膚が溶けてしまいました。
左足を切断することにより右足を治すことを優先することになりました。
私的には片足を失くしてしまう事にそれ程重く受け止めてはいませんでしたが、親をはじめ周りの友人や親類は泣いてしまうくらいの重大さだったようです。
手術当日までタバコを吸う元気はありました。
手術が終わって麻酔が切れた時は流石に激痛に泣きそうになりました。
看護師さんに痛み止めを貰って飲んだり痛み止めの注射を討って貰ったり座薬を入れて貰ったりと夜明け近くまで痛みで眠れませんでした。
そして気がついた時には痛みが収まっており丁度、朝食の時間帯だしたが、手術の翌日の朝食は抜きでした。
喫煙所の所には自動扉があり、そのガラスに映る自分の姿を見て、違和感と言うか悲しい気持ちになってしまいました。
片足を失くしたことによって精神的に落ち込む事はなかったのですが生活的には結構、不便さを感じます。
一番、不便に思うのは階段やちょっとした段差に苦労してしまいます。
後は糖尿病による目の病気で糖尿性の網膜症や白内障で目が霞んで擦りガラス越しに見えてしまうので、人の輪郭などは判ってもぼやけてしまって誰が誰だか判らなくなってしまいます。
糖尿病じたいは痛くも痒くもないのですが糖尿病による色々な合併症が怖いと聞きました。
糖尿病は一生治らない病気なので上手く付き合って行こうと思います。
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