元木大介さんの場合。【糖尿病の有名人・芸能人】
- 2017/10/8
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実は糖尿病を患っていた元木大介さん
元木大介さんは、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手であり、現役時代は読売ジャイアンツの内野手、外野手として活躍しました。
そんな元木大介さんは、実は糖尿病を患っていたようです。
元木大介さんの経歴・芸歴は?
元木大介さんは、上宮高校出身であり、甲子園には3回出場していて、1試合に2本塁打を放ったこともあって既に注目されていました。
高校通算では24本塁打、甲子園では通算6本塁打を放っています。
この甲子園での本塁打は、清原和博さんに次いで歴代2位タイとなっている記録です。
高校生当時の元木大介さんは、その端正なマスクでスターといわれており、3年生の夏には大フィーバーが起こって、夏の大阪大会や甲子園での練習には女性ファンが殺到したとのことです。
1989年のドラフト会議において、元木大介さんは読売ジャイアンツの指名を希望しますが、読売ジャイアンツは大森剛氏をを1位指名します。
そして、元木大介さんは、福岡ダイエーホークスから外れ1位で指名されますが、これを断り、1年間ハワイに野球留学します。
しかし、これは大学・社会人に進むと次回ドラフト指名まで時間がかかるため、それを避けるためにとった行動であったようで、実際、ハワイの環境では本格的な野球練習はできなかったようです。
1990年のドラフト会議で、元木大介さんは読売ジャイアンツより1位指名を受けて入団し、1992年から1軍で出場するようになります。
元木大介さんは、ピッチャー・キャッチャーのバッテリーを除く全てのポジションを守ることができたため、ユーティリティープレーヤーとして読売ジャイアンツの1軍で活躍します。
オールスターゲームにおいては、1998年に初出場し、遊撃手として選ばれました。
翌年の1999年には三塁手のファン投票で選ばれましたが、1998年は代打のみの出場、1999年は三塁手ではなく二塁手での出場となっています。
2003年以降、元木大介さんは度重なる故障に悩まされました。
そして、2005年には当時の堀内恒夫監督のチーム若返りの方針により、元木大介さんは後半戦から戦力構想より外れ、2軍生活を送ることとなりました。
そして、活躍の場を失った元木大介さんは、2005年の9月に戦力外通告を受けます。
その際、楽天やオリックスから誘いはあったとのことですが、1年間の浪人生活を経て読売ジャイアンツに入団したという経緯もあって、33歳の若さで現役を引退しました。
引退後の元木大介さんは、2005年のシーズンオフから日本テレビ系列のTHE・サンデーのスポーツコーナーにレギュラー出演するようになります。
そして、2006年にはTBSラジオの野球解説者、およびスポーツ報知の評論家となっている傍ら、バラエティタレントとしても活躍するようになりました。
そのテレビでの活躍以外に、2010年9月に仲御徒町、2012年9月に広尾にラーメン店「元福」をオープンしましたが両店舗ともに閉店しています。
元木大介さんは、そのタレントとして、テレビのバラエティ番組に出演した際に糖尿病の宣告を受けました。
その番組では、40歳代の9人の方に糖尿病の検査を受けさせていました。
そして、その9人の中の7人が糖尿病と糖尿病予備軍と診断されたのですが、その中に元木大介さんが入っていたのです。
この番組では、40歳代を境に糖尿病になる人が増加し、そこで糖尿病になる人には4つのシグナルがあると指摘しています。
その1つ目は、一度でも太ったことがある人は危険だということ。
2つ目は、おしっこの回数が増えた人は危険だということ。
3つ目は歯を磨いて血が出るようになったら危険だということ。
そして4つ目は、女性は妊娠と華麗で糖尿病を発症するリスクがあがるということだそうです。
確かに元木大介さんは、現役時代と比較すると太ったように見えますので、糖尿病を発症するリスクはあったように思います。
今後は生活習慣等を見直して、糖尿病の症状が悪化することのないように努めてほしいなと思います。
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